人生

三度臨死体験をした木内鶴彦さんが見てきた世界 この世界シリーズ2

木内鶴彦さんが注目されたのはかなり前なのですが、最近またフューチャーされてきました。

こういうのはほんとかどうかは置いておいて、取り合えず世界を楽しむにはもってこいの話です。
以下は動画の文字おこしです。

出典元:Naokiman 2nd Channel

一度目の臨死体験

航空自衛隊の仕事の最中、腹痛に襲われ病院に担ぎ込まれた。
1日で体重が30~40キロ落ち、骨と皮のような状態になった。
痛みが全身を襲い意識がもうろうとしていた。
医者からは両親にもって一週間と宣告された。
それから7日目の朝、検査の後急激に意識が薄れていった。

意識が戻ると真っ暗なぬかるみを這いずり回っていた。
しばらくすると遠くの方にわずかな光がありその光を目指していくと洞窟の出口の様だった。
洞窟から出るとそこは、草原の薄暗い場所でさらに奥に光る場所がありそこに向かうと、
川があり、小舟で渡ると喪服を着た女性が現れ「鶴彦お前は何しに来た?」と聞かれ、答えられないでいると「ついておいで」と言い、焚火のような光の場所についていった。
そこには中学生の時に亡くなった当時の姿のままのいとこがいて、世間話をしていると、
女性が「これから素晴らしい所へ行くからついておいで」といい、ついていった。
明るい光が見える小高い丘を登ると向こう側に黄色い花が咲いている丘を降りると、甘い香りと共に心地よい風が吹いてきた。
ふと見ると目の前にいた女性はいなくなっていて急に意識が病院に戻った。

病院の中で心臓が止まり呼吸ができなくなったと感じていた木内さんが起き上がったら、ベッドの上にもう一人の自分がいた。
自分が意識だけであると知った木内さんは唖然と立ち尽くしている父親の耳元で大声で叫んで寄ろうと近づくと父親の視点に入ってしまった。
このまま父親の体に居てはいけないと「俺は生きている」と言い残し父親の体から出た。
次に、母親がいないことに気付いた木内さんはそう思った瞬間、母親のすぐ近くに立っていた。

電話をかけている母親を見ながらお兄さんのことを思い出した。
すると、次の瞬間にはお兄さん体に入っていた。お兄さんは病院に向かって車を運転している最中だった。
「俺は大丈夫だから」と言い残し病院に戻りました。

強く思うだけで空間を移動できる意識だけの存在であることを認識した木内さんは、次々と時間と空間を移動していけました。
まず確かめに行ったのは6歳の夏、お姉さんとゴロゴロとした岩場のある川べりを歩いている時、斜面の上の方向から「あぶない」という声が聞こえてきた。お姉さんの方を見ると上から大きな岩が落ちてくるのが見えた。慌ててお姉さんの背中を押した。岩があたるのは防げたがお姉さんは1mほど岩場を滑り落ち、怪我をしてしまった。
それを見ていたお兄さんはふざけて押したように見えたらしく、「あぶない」と聞こえたという話は信じてもらえなかった。

その場面に戻ってきた木内さんは聞こえた声の主を探すことにしました。
声が聞こえたであろう場所にたどり着いたとき、下の方でお姉さんの上に岩が落ちてくる瞬間が来て、思わす「あぶない」と叫んでしまっていた。
そして目の前でおさない自分がお姉さんを押していました。
あの声の主は自分だったのです。

その光景を見た木内さんはいったん病室に戻り、過去に行くことができるならば未来にもいくことができるのでは?と思い、未来を強く思ったら、次の瞬間畳が敷き詰められている大広間の様な所にいて、そこでは中年の男性が30人ほどの若者たちに何やら話をしていた。
その場所には1本の掛け軸が掛かっていた。掛け軸は見取り図の様でもあった。
中年男性の顔を見てみると木内さん本人であった。
そこにいる木内さんは熱心に天体の話を中心に地球環境の大切さを訴えていた。
それを見た木内さんは未来の自分が存在しているということに希望を感じました。

さらに未来を見たくなったので未来を強く思いました。
次に移動した先は先ほどのようなはっきりとしたビジョンではない光景が現れた。
砂漠のように荒れ果てた大地、そして廃墟に腰かけ唖然としてその光景を見つめている木内さんが居ました。山には1本の木もなく周りには人々が倒れている。
しかし、そんな光景と重なるようにもう一つの光景がそこにはあった。
緑の多い場所で空を見上げている木内さんでした。
木内さんはこと時、同じ場所の2つの未来を同時に見ていました。

近い未来はハッキリとしているが、遠い未来はハッキリしておらず2つの世界が見えた。
→過去の預言者達は未来の可能世界の中の1つの世界を見ている?
→未来の可能世界の数は2つだけ?
→近い未来は決まっている?遠い未来は可能世界がある?
→未来の選択は自分に出来る?自分にしかできない?

宇宙の始まりを確かめたいという衝動にかられ、宇宙の始まりはビッグバンだったのかを確かめに行った。
そこで見たものは宇宙の始まりはビッグバンではなく歪から宇宙はできたということでした。
宇宙が始まる前に存在していたのは膨大な意識だった。
その意識は木内さんの意識を取り込むような感じがした。まるで木内さんが経験したことが無い出来事を知識もその膨大な意識の中にあり、それを感じることができた。
その膨大な意識は個の意識を包み同化し一つとなる。
まるですべては木内さん自身の意識であるという何とも言えない不思議な感覚になっていた。
ただ、その意識の中に入ると自分という意識を見失ってしまうような感覚も持っていた。
なので、時間・空間を移動するうえで「自分は木内鶴彦だ」という意識を遡り、それをしっかり保つようにしていた。
しかし、その個の意識も膨大な意識の一部に過ぎず、思っただけで父親の中や母親、兄弟の基に瞬間移動できたのは彼らの意識も膨大な意識の一部であり、自分の意識も彼らの意識も同じ意識の中に存在している。だからこそ移動できたと木内さんは考えた。
その膨大な意識を生み出した歪こそが宇宙の始まり。その歪は歪が生まれた瞬間から解消するために動き始め、意識のちょっとした歪を直すために3次元が存在していると木内さんは理解しました。

この経験を通して思ったことは死とは無である意識に戻るということ。
それはすべての知識や経験を持っているすべては自分自身だという退屈なものだと感じた。
この世界を生み出した歪は遊ぶという広大な意識が暇つぶしのために生み出されたゲームだったのかもしれない。
その歪はいつか解消する。解消の日が来るまで膨大な意識が作り出したゲームの中でいかに地球をバランスを維持し、エネルギーを維持し生き続けることができるかというのが人類の役目だと考えている。

もう一つ木内さんが過去で見たものがありました。
太古の地球です。地球の歴史(現代の常識)は現在とは大きく異なっていました。
目にしたのは人々が地上ではなく地下で生活していたこと。
今よりも文明的な世界でした。
もう一つ木内さんが過去で見たものがありました。
太古の地球です。地球の歴史(現代の常識)は現在とは大きく異なっていました。
目にしたのは人々が地上ではなく地下で生活していたこと。
今よりも文明的な世界でした。

その頃の人々は地球は表面が自然のものであると認識していたので、生活圏は地下にあった。
すべてを地下で行うことができるわけではなく、地上に上がることもありました。
しかし、輸送のための線路や道路はありませんでした。
事前を破壊しないように空中を移動していた。それはUFOのような乗り物だった。
人々はこのUFOを使って動物や恐竜と共存していた。
しばらくすると、人々は徐々に地上での生活を拡大していきました。
彼らが行ったのは山岳地帯に木を植え、砂漠を緑地に変えていった。

この過去は地球の過去なのか?
別の世界・惑星のことかも?

ある日とある彗星が太陽に近づいたため、彗星からガス状の水が地球に降り注いだ。
地球の水分量は劇的に増加しました。
それにより、文明は滅び、恐竜も絶滅しました。
水分がなくなって核だけになった彗星が、地球の周りを回り始めた。それが月になった。

臨死体験から目覚めた木内さんですが、その時心臓が止まってから30分しか経っていなかった。
休むため実家に戻ったとき、両親が叔母と話しているのが聞こえたので、挨拶しに行きました。
そこには、三途の川の先で出会った女性の写っている写真がテーブルの上に置いてあった。
その女性は彼の父の妹(もう一人の叔母)でした。
しかし、彼はこれまで彼女との面識はなかった。

それから18年後の1994年10月、木内さんは未来世代フォーラムで講演するということで、高野山の清浄心院を訪れた。
その部屋に入ったときに衝撃を受けました。
臨死体験の時に見た掛け軸がある部屋だったのです。30人ほどの若者が集まっていました。
こと時、臨死体験で見た光景が真実であると確信したそうです。

木内さんは月についても調べていました。
当時の人々の中に入り込み、月を観測していたのです。
そして、巨大彗星が月に変わった年を計算しました。
それは15000年前のことであることを発見しました。
この様に、木内さんは臨死体験中、過去の人々に入り込み、意識を借りていました。当時の建物や物に自分がそこにいたことを証明したいと考え、そこに痕跡を残していました。

15000年前、月の水が地上に降り注いだころ、人々はノアの箱舟を建造していた。
木内さんは船大工の体に入り込み船に落書きをしました。
木内さんによると、ノアの箱舟はトルコのにあると言います。

その他にも3500年前、木内さんは出雲で刀を作る鍛冶職人のもとへ入りました。
そこで、大小の剣を作ったとき、持ち手の部分に北斗七星の刻印をしておきました。
後に、友達が降る意見を見つけた時、古い剣のペアを手に入れたと電話で言っていました。
その剣が自分が作ったものかもしれないと強く感じたので、友人に持ち手の枠を外し鉄の部分に刻印があるはずだと伝えました。
電話の向こう側から興奮気味に「あった!」と聞こえてきたのです。

臨死体験を通じて、死後に世界について、とてつもない退屈な世界で全てが自分でありなんも疑問もない世界。それは辛くも苦しくも無い世界。トキメキも喜びもない世界

この世にはさまざまな制限があります。
だからこそ、自分の能力を目いっぱい使って生き抜くいていくのがとてつもなく素晴らしいことだと気づいたのだそうです。

木内さんによれば、人間とは進化の最終段階で誕生した生物であり、人間の役割は様々な生態系のバランスを管理するためだという。
他の動物にはできない砂漠に植物を植えたり、植林したり地球上の緑地を増やしていったり、自らが学び、考え、創造する能力。それが人間にとって最も重要な役割であると気づいたそうです。

命あるものは本来、互いに尊敬しあうことができる存在だと私は信じています。
なぜなら、すべて担っている役割が違うからです。
命の循環を守るという本来の目的に立ち返ったとき、無駄な人は誰もいません。

その人でなければできないことが必ずしもあるのです。
自分の能力を生かすことは、生きる喜びそのものです。
そして、自分を生かすことが結果として命の循環を守ることにつながっているのです。

自分の能力が何なのかまだ分からない人もたくさんいると思います。
でも、心配することも焦ることもありません。
やりたいと感じたことをいろいろ試しているうちに、人は必ずそれに巡り合うことができるようになっています。

何が自分の才能なのか判断するのは、実は簡単です。
能力を発揮できた時、あなたはそれまで経験したことのない喜びや楽しさ、そして充実感に満たされるからです。
ですから、自分がやってみたいと思ったことは損得勘定を抜きにして、まずやってみることです。

木内鶴彦著 生き方は星空が教えてくれる (サンマーク文庫)

心停止して臨死体験した時は、肉体は痛いけど心地いい。体から離れる感覚、解放される感覚。
解放されると痛みから解放される。

臨死体験中は思うだけでそこに瞬間移動できる。

子供のころ千曲川で「あぶない!」と声が聞こえた時、妹が乗ろうとした石がぐらついていた。
そこで足をぶつけてつま先を痛めた。

思っただけで過去にも瞬間移動できたので、今度は「織田信長って本当に本能寺の変で殺されたのかな」と思い、行ってみることに。

今度は織田信長の目線になっていた。福井県の小浜の海岸にいて、誰かを待っていた。「あれ?しんでいないじゃん」って。そこで光秀と待ち合わせして、「お前、遅かったな」って言った。
「あれ?明智光秀にうたれたんじゃなかったっけ?」
2人がなんか企んでいる雰囲気で、船に乗ってインドを経由していくんですよねバチカンに。
木内さんがそれを見ている時は時間的な感覚は無かった。

木内さんはその後、バチカンに織田信長と同じ時代に何かないかと調べた。
そしたら像があり、ちょんまげは無いけど「ジョーダン・ブルーノ」。
三文字外すとOdaNobuになる。顔つきもちょっと似てる。

ジョーダン・ブルーノに関しては幼少期より記録があり、信長が日本を離れたとしても50歳になっているはずなので全くつじつまが合わないのだが…。

宇宙の始まりはお風呂に入って水が平らになっている時にそっと手を離すと小さな渦ができるような感じ。ビッグバンではなかった。

私たちは最初から地球に生まれたのでしょうか?
例えば、よその天体からやってきた人たちがいて、地球に寄って金星に行っている連中がいるんですよ。それを金星人と言っている人たちがいる。
それと同じで、一緒に来て、ただ地球に居残りチームと金星まで行ったチーム。
人類がここ(地球)到達したのは800万年前ぐらいから。
その前にはいろんな微生物も誕生している。
恐竜と人間が共存した時代がある。
月が無い時代は巨人がいて月ができてからは身長が小さくなっていった。

日本人の起源
月が地球の周りをまわってなかったころ、海が、今の太平洋の中心部、どうもそこらへんで人類が誕生しているんです。
波打ち際で生物が。人類は他所から来ているって思っているから、それと何かで絡み合わせて人類になっていく。
それが2種類。
俺ら(日本人)みたいな身体のつくりと、ユダヤ系の。近いでしょ?
後の人類は○○○なんですよ。

イエスについて
キリストというのが正解なのか分かんないですけど、イサヤというのがいたんですよ。
中東にいて、東を目指してきて亡くなったんだけど日本で亡くなっている。
十字架には身代わりを立てて、急所を外し血が流れれば死んだことになる。

日本にキリスト教に似た文明は無いか調べたんですよ。
熊本とかに多いんですよ。イサヤという地名がある。諫早(イサハヤ)。
四国の剣山にある洞窟で亡くなったんです。
おもしろいと思ったのは、戦後の徳島日報に(書いてあった)そこにGHQがきてそこを探して遺体を持ち去った。
その遺体をバチカンに持って行った。なのでバチカンに行くと会えるかも。

すべての存在理由について
3次元を作ったってのは暇つぶしだよね
人類は楽しむこと。いろんな現象があるし、とにかく楽しまなきゃ、楽しいが活力になる。
生命を存続させることそれが一番ですね。
AIとかもあれは単なる都合のいい「道具」であって、どんなに難しい数学が色々あっても、答えがこうなるんだってのが前提にあるじゃないですか。ただそれをどう繋げればどうかってだけで、数学なんてやたらと難しいこと言っているけど、本当はすごく簡単。答えは決まっている。

未来は破滅には向かってないと思います。救いようがあるというか、救っていかないとダメだよね。
自分たちで(わざわざ)課題を作っているわけですよ。争わず楽しくやればいいのに。
いろんな人たちがいて、それぞれ能力が違うんだから面白いことがいっぱいできる。
講演でもよく言うのですが、お米を作ることの好きな人がお米を一生懸命作る。絶対に負けたくないって美味しいお米を作る。すると美味しいお米になる。他の物を作るのは他の人に任せる。

沖縄県那覇市のラジオ局 タイフーンFM 田村邦子のマジカルミステリーツアーでのお話

心臓と脳波と呼吸がすべて停止した状態で5分経ったときを死亡と定義している

立花隆さんが言うには臨死体験をした人たちは仮死状態で生き返っている、木内さんは唯一死亡確認後30分経ってから生き返っていた。
河原であるとかお花畑であるとか光の世界も見ました。実はここら辺の部分というのは死を迎えるちょっと前に死に陥っていく時の脳の機能の中で見る現象だということが分かりました。
私の場合はその後にベッドで寝ている我に戻る。
で、その後、心臓と呼吸と脳の停止まであるんですが、それを自分で確認しながら意識しているんです。
目で見ている世界は見えているし、それから匂いとか人のしゃべっている声とか皆聞こえているんです。
肉体と意識との分かれ目があった。ベッドの上で体を起こしたとき(上半身だけ起こした形)ちょうど父が僕のお腹を見ているんです。なんでお腹を見ているのか意味が分かんなくて、実は体から離れていて見えない。でも僕はあると思っていますから。
そしたらベッドから立ち上がろうとすると体の調子がよくなっていって。
痛くない。呼吸が止まるのも苦しくもなんともなかった。

最初はね、ほんとに恐怖でしたよ。いやだなとか苦しいとか痛いとかいろんなことを想像するじゃないですか死ぬことに対して。
苦しくもなんともない。その瞬間を通り越したにもかかわらず意識がはっきりしているんです。
そして、母の帰りが遅いのを見て考えた時に、いきなり母のそばにいて、母は電話ボックスで「今息を引き取ったから」ということを話していて、その内容を聞いてて病室のことを考えるとまた病室にいるんですよ。
今度は看護婦さんが飛んできて心臓マッサージをしているんです。そして「お父さん邪魔だから」といって病室から出されるんです。
僕はそのにいるんだけども見えてないんでしょうね。私の中に入ろう(ぶつかりそうになって)として僕は体避けるんです。体無いんだけどあるつもりになっているんですから。
そのときに、時間や空間を超えるとかなんか面白くなっていくんです。

その時に考えたのは、じゃあ小さい頃の思い出があってそこに行く。行って帰ってくるを繰り返しているうちに、じゃあ未来を見てみようとなって。
未来に行った時に中年の僕が星を通じて自然の大切さを訴えているんですよ。
それを見た時に「俺は生き返るかもしれない」と思ったんですよ。
色々やっていく内に未来に対して面白い瞬間を見てくるんですけども、夢なのか現実なのかっていう思いが出てくるわけですよ。

死んでも意識がある。感覚もある。とすれば肉体とは何なのか?

見てきたって言っても年代がはっきり測定できてるわけではないんですよ。
カレンダーは無いので。
私は星のことをやっているので、例えば星っていうものは固有運動しているんです。
大熊座の北斗七星というのは太陽系に近い星々の集まりです。
ですから動きが意外に早いんです。
例えば50年くらい時間の幅があるとしたら星座の形が少し変化があるんです。
というように、星座はどういう形をしていたのかを見て帰ってきて、計算して何年前の星と一緒だったのかを年代でいくつか見つけだしたんです。

臨死体験で過去に行くと昔は月が無かったんです。
今より海の水が少なかった。
そんな地球があって、ものすごい文明が発達していた。
その頃は人間も恐竜も共存していたなんて自分でも想像もしていないことを見ることは無いんですよ。幻覚で見るわけないんです。
でも行って見た事実は残ってる。これは何なのか。
その時に、大きな彗星がやってきて大洪水を起こさせた。
その年代が今から15000年なんですよ。こぐま座の柄杓の格好からすると。
その星が月なんですよ。そして地球の周りを回るようになってしまった。水を取られることによって。
そんな現象ほんとにあったのかなぁというものがあります。
臨死体験で見ている時はまあまあ面白いなぁと思って見ていました。

もっと面白いのは宇宙の始まりはビッグバンでは無かった。
ビッグバンでしか教わってない人間がビッグバンでないものを見ることも想像することもないんだけれども、空間のゆがみなんです。
空間そのものって何なのっていうと自分自身の意識なんです。
そういうのを体験するわけですよ。
そしてこの空間でいろんな宇宙の中の銀河系の中の太陽系の中の地球。
そこで生命体が誕生しているっていう。

その世界の生命体と死んだときに体を離れた意識ってのは実はアクセスしているんです。
くっついてるんです。
そういう状態に陥りながら過去未来を見てくるんです。
大洪水が起きて人間というのはいろんな経験をしながら環境変化によって、環境が変わってくる中で自分の体を取り戻すためにそこでまた新たな科学が生まれる。
それを繰り返していく内にだんだん能力が衰退していくんです。

ドンドン衰退していく内に原始的な生活に陥ってくる。
そういうのをまた繰り返して2回3回繰り返して、3回目が今現在なんです。

今はまた科学が発達しているようになってきています。
これから未来が何があるんだろうかと思うと、ある意味産業構造の崩壊が始まってきています。
人間が作ったお金の社会の崩壊が始まった所から実は具体的に食べるものを失ったり、環境(自然)を失ったりしていくことによって、それを追い求めることから無政府状態・つまり暴動が始まり食べるモノを漁りだす現象が多くの世界の中の国々から始まります。

それがどうなるかというと、都会から飛び火してきまして田舎で作っている所に来てそれを食べてしまう。
所が、食べてしまったものは次育てることもなければ何もないですから、どんどん食べるものが無くなってくる。やがては山に行って植物を食べる。これだけならいいのですが、当然武器をもって戦っているという盗んだり、盗まれたりということで本能的な動物の社会、力を持つものが勝っていくような社会ですよね。
それに乗じて生活に余裕のある人たちは国家というものを作ったりして、いろいろな勢力圏で核ミサイルを使うでしょう。いろんなことをやりながらどんどん崩壊していきます。
それが今、このまま行ったら少なくても近い未来がそういう状態に陥らないとも限らない。
臨死体験ではそれをはっきりと見せているわけです。
また原始的な生活に陥って二千年という歳月をかけて取り戻すことができるようです。
でも、ものすごくよくなるわけではないですね。
そこから新たなものに進化していかなきゃいけない。

ところが、もう一つの位置があったんです。
0.001%ぐらいの確率なんですけども、その時にその諸問題を解決する。
まず、ごみの問題から始めて、お金のいらないような社会を作るような人たちが現れてくる。
そして、薬とかそういうものではない新たな医療のものとして水というものを作り出してくる人たちがいる。
それが新たな世の中を作り上げていくわけです。
これがやれるかやれないかがかかっているわけです。
この人たちは地球の生態系っていうものをものすごく理解して、その生態系を長く維持することが新たな産業というものの考え方になって突き進んでいくわけです。
それをやりながら意識の改革が始まるんです。

よく多くの人たちはこういう大変な時代になってくると意識が進化すればとか高まればとか平気で言ってますけれども、そんな簡単に変わるものではないんです。
多くの人たちは宇宙人が来て救ってくれるのではないかとか、救世主が現れて気合をかけたら世の中良くなるんじゃないかとかよく見てみたらものすごく短絡的な物の考え方です。

でも、私が見たものはそうではなくて、私たちの努力の中に唯一の改革がある。
努力の中にそこしかないんです。私たち一人一人。
自分で地球についてできることは何かを考えなければならない。

死んでいた私が調べた時に、近未来にそういう時代が来た時にどうしたらいいか、いったい何が足りなかったかということを僕は死の状態でいろんな時代背景に、もし私が生き返ってから思い出せなかったらいけないので、いろんなヒントをいろんな時代の人たちになりかけてるんですね。
その記憶があるんです。
ずるいアンチョコ(ガイド)をあちこちに残しておいたんです。
生き返ってみたらきっちり全部忘れているんですよ。
頭の中がモワーンとして頭のどこかで何かあったぞというのは覚えているんです。
星を通じて、何か星だった最初そこらへんから始まるんです。
星を通じて何かしなきゃならないっていうことを追い求めていくと、彗星探しに行って本当に彗星が発見されるようになってくる。
実はその途中の間でも臨死体験に見た近未来の所で出会う場所があるんですが見てきた通りという。
中年の僕が畳の大きな絵で星を通じてしゃべってるというのは、実はのちにアジアの留学生が来た時に高野山で修行寺の所で1994年ですね。
その次に彗星を見つけてその彗星が地球にぶつかるということと、環境の問題なんかがありまして、留学生の前で講演したわけですよ。
(臨死体験で見た)その場面を通過しましたからね。これはもう事実だよなと。ここまで来たら見たものを疑う余地はない。

今現在を考えていくと社会構造がにっちもさっちもいかなくなってくる。お金の流れもだんだんできなくなってくる。会社もリストラが増えてくる。その反面、短絡的な株取引だけが黒字になってくる。そうなってくるとこれは全部「虚の世界」であって、例えば会社って言うのは実際に物を作ってこれが高く売れるよってので株を買って儲ける。一番高値の所で一抜けするというやり方で儲ける。
その会社が実体経済があるかないかじゃなくて勝手にやっているんです。それで株が下がったときに会社がつぶれる。会社の従業員はどうなるかというと、ある日どんどんリストラになってくるわけです。

一番気が付かないといけないことはそういう産業を推奨してきたからこそ逆に地球の環境は汚染されます。
工業って言うのは何を使うかというと、動力を使ったり利用してものを加工したりします。
あるいは電気を使う。エネルギーのほとんどは電気です。
電気の中で今火力発電所でやっているのではなくて、原子力発電でやっている。
原子力発電所ってよく考えてみたら昼も夜も電気を起こさないといけないものなんです。
止められないんです。核分裂始めたら。
ところが水力や火力発電所は使わない時は止めることができるんです。
それができないということは昼も夜も電気を使わないといけない。
そういう所から夜のライトアップを始めたんです。

それをやることによって、地球の夜が明るくなることによって植物が夜休めない。
そのためにストレスを生じてしまうんじゃないかってことが気になりまして、環境省と共にスターウオッチングというのをやりまして、どれだけ星が見えるか見られるか、実際にはどれだけ夜空が明るくなったかを調査してるんですね。
その明るさからどのくらい植物がストレスを生じてくるかを求めるんですけども。
そうなると地球上の植物がかなりストレスを感じているらしい。

それを調べたいなら、植物を夜真っ暗な部屋と夜も明るい部屋に分けて調べた方がいいのでは?
菊なんて花を大きくするために夜もずっと電球を灯らせて育てるので、夜が明るいから植物がストレスを生じているのかは疑問。一概に言えないのでは?
ストレスがあったほうが大輪の花を咲かせていると言われるとそうかもしれない。
人間も適度なストレスが無いと成長しないようだ。

彗星が地球にぶつかるのをどうやって防ぐかというのを国際会議を開いたら1990年12月に、(植物学者が)ぶつかる2126年までには地球は持たないと。
どうしてかと聞くと空が明るくなって植物がストレスを生じてきたこのまま行ったら2011年あたりから植物は枯れだして14年のころには枯れてしまうのではないかということが心配されている。
枯れたらどうなるんですかって言ったら、二酸化炭素が増えてくるんだそうです。
二酸化炭素が増えるとどうなるか。温暖化ですか?温暖化なら怖くないですよ。
でもそうじゃないんですよ。

二酸化炭素は酸素より重いので酸素は上に行きます。
私たちは呼吸できなくなる。それが一番の問題だと思うんですよ。
私が住んでいる長野県あたりは標高が高いですから私は救われるかもしれませんが。

ごみの問題とか産業構造なんかも溜まり固まってどんどん人間が住めない感じになっているわけです。
こういった諸々とそれから農業をやる人たちより消費者が増えてきている。
これは食糧難が始まっているということです。
こういう諸問題が重なってきて想像できるのは一番短絡的に儲かるのは戦争ですね。
武器が無くなると武器を供給するという産業構造もできちゃいます。
それが今の戦争です。
そこにみんな目が行ってしまうと一番短絡的にお金のままの世界だからです
そうなるともう秩序というのはなくなっていくでしょう。
では、何を求めているんですか、それはお金なんです。
お金という社会が目的がそれだったらダメなんです。
今の政府にしても何でもそうなんだけど、今の日本をどうしたいんですかっていうのを総理が来た時に(聞いても)目的意識って無いわけですよ。どういう国にしたいんだって。

世界もそうですよ。
ハッキリしているのはお金をいかにして得るかということ。

その目的のためには自然界の循環、生態系の循環すべて無視できるわけです。
儲かればいいんです。
だからいろんなところをゴルフ場に変えたりとか、動物殺したりとか木を切ったりとか関係ないんです。お金の為だったら。
そこで、お金を求めて何があるんですかというと裕福な生活なんですけど。

昔の人たちはこういうことを懸念していたんでしょう。
近い未来、人間は絶対に手足が使えて物事を考えられる他の動植物よりも優遇された生き物であるということからおごりを持ってしまうことなんです。
本来は自然界の一員としての働きをしなくてはいけなくて、植物や動物が自然界で勝手に動いている。ここの所は死んでここは増えすぎているというようなアンバランスができます。それをうまくバランスが取れるのが人間。

例えば動物を飼うことができる木を切ることもできるし木を植えることもできる
というように、人間は自然界の循環を維持していく役割があるということ。

そのためにいろんな産業構造・経済がなければいけないんです。
それを見失ったらいけないんです。

まず、一番私たちが学ばなきゃいけないことの一つは沖縄にはいろんな島々があります。
そこで自給自足が行われているわけですよ。そういうことが大切なんです。

例えば誰もいない島に100人くらい乗った船が遭難して上陸したとしましょう。
誰も助けは来ないんです。どうしますか?
とりあえず、何が食べられるかっていうのと小屋を作る人、火を起こす人、いろいろいるんですね。
魚を取る人っていうことから始まって誰か助けに来るのを待っているということがあります。
その後、それがだんだん広がっていく内に自分たちで、あの人はお米を作る人、この人は家を作る専門、この人は漁業をやる専門の人っていうように、それぞれの能力をお互いに提供しあった集落の作り方が出てくるんです。
誰も助けに来ないので、自分たちがそこで自給自足をしていかないといけない。
というようなモデルが沖縄にはいっぱいある気がします。
ところが今の多くの沖縄の人たちはそのことを忘れて生きている。

その中に何があるかと言ったらお金の便利さが入ってくることによってそのバランスも崩れてしまう。
逆に生きていけなくなってきているですね。

臨死体験の中で学ばされたのはお金ではなく、地球生態系のバランスの中の一員としての人間の在り方だったんです。
その中では目的がはっきりしていまして、そのバランスを未来永劫どうやって伝えていくかという。
そして、それを守り通すかという目的を持った社会構造を作ってたわけです。
一人一人が自分の持っている能力、例えばお米を作るのが好きな人はお米作りをやっているんです。
山の下草刈りや木を守ることが好きな人たちはそれをやっていた。家を作ることが好きな人たちはそれをやっていた。工業機械を開発する人たちはそれをやっていた。一人でなくて何人も介在した建物や建築物いろいろな物を作っているグループもあってそれはそれでやっていた。
それはお互いにすべてが無料なんです。
そういう社会が本来の社会だったということなんです。

そうするとお金というものはじゃあ何なんだって話です。
お金が作られた歴史って言うのはいまから6500年ほど前なんです。
ヨーロッパの方で始まったと言われています。
さいしょは貝殻なんかでやりあってた。その中から金という物を一つの貨幣としてきた。
でも、例えば米1表と金何グラムというのは国によって価値観が違った場合があります。
それの違いを合わせる場所があった。それが地中海ではグロス島という島がありまして、その島にレートの場所を作ったんですね。
そこは2万人ぐらい居たそうなんです。
よく考えたらお金を握って、世界のレートを握る人は世界を制するというものの考え方にもなります。お金の社会では。

ギリシャがその島を一夜にして2万人いた人達を殺してそのお金を奪ってパルテノン神殿に持って行ってそこでレートの場所を作ったてのは有名な話があります。
こういう歴史から始まっているわけです。

でもよく考えたら私の小さい頃はどうだったかって、長野県の山あたりは農家の家に手伝いに行ったりすると米もみんなもらえたりしたんです。

学校給食も私が小さい頃って給食費って無かったんです。
何があったかというと野菜当番があったんです。お米当番・野菜当番。
PTAのお母さんたちが給食のおばちゃん。それぐらい田舎でした。
学校では皆山に行ってキノコ採ったり山菜採ったりしてそれを漬けといてそれが食事になった。
そういう時代があった。私が小さい頃まで。
いつのまにか給食費が必要になってきた。
これが僕には最初のショックだったんですね。家には現金収入は無かったので、非常につらかった。
僕は小学校3年生の時から新聞配達をやってお金を稼ぐようになったんですけども、その歴史の狭間という物を知っています。

で、今私たちは一番何が必要かと言ったらこの地球を取り戻す、環境を取り戻すことが一番大切だということなんですよね。
そして今ある諸問題もすべて解決するということなんです。
そのためにはエネルギーが必要になります。物を燃やすとかなんとか言われていますけど。
でも、ものは燃やさないで処理するしかないです。
地球上のエネルギーを使う限り地球の環境汚染になります。
私も考えたのが太陽の光を集めてくる。昔、虫眼鏡で紙を燃やした経験があると思いますけども。
沢山の太陽光を集めると強烈な温度になります。

廃棄物、例えばプラスチック製品なんかの場合は太陽の光は電子の振動ですから物を燃やさないで物質を分解してしまうんです。つまり、元素にもどしてしまう。
そうすると、それぞれの元素を取り出すことができるということになった時に最近石油が無くなってしまうというけれども太陽光を使うことによってもう一回石油を取り出すことができる。
しかもそれは地球上のエネルギーではない以上地球の汚染につながりません。
いろんなものを焼却処分するんじゃなくて、そこで炭素を作って利用すると、炭素を使った文明・文化ってのが今から起きてきます。
21世紀は炭素の時代だと言われています。
純度の高い炭素は今非常に高価なものです。
ところがいらないものあるいはゴミといわれているのを処分元素に戻していくと、必ず炭素が残ります。

その炭素を使って新たな産業にも役に立てられる。これからの時代いろんなものが使えるということです。

それをやって新たな産業構造、ただしやる時に絶対的な条件があるんですが、これはまず地球の環境を取り戻すということを目的とした産業構造でなければいけないんです。
この環境は我々が作ったものだから誰がいけないんじゃなくて、間違ったことは自分たちで改正していかなければならない。
それが唯一0.01%の可能性。

それを私たちがやらなきゃいけない。
そこで道具を用意しました。太陽光を使って処理するものを作りました。
そして水を使って体を癒すことの理論もできてきています。これはいまだ研究中なんですけども。
将来的に僕は立証されると思います。

今多くの人たちが意識が変わればって言いますが、霊的な力があればとか言います。

人間というのはいろんな能力ものすごく高い所まであるのが僕は理解できます。
ただ、私たちは体を借りているんだということを絶対忘れちゃいけない
この地球という生態系の環境の中でしか生きられない体の世界があるんです。
んなに意識の世界が改革されて素晴らしい世界になっても体を忘れていくなと言いたいです。
3次元の一番やりづらい、なかなか思うようにいかない所の世界をどうにかする、その生態系を長く維持させるためにどうやって生きていけることができるかということをやることが生きる喜びなんです。

意識を改革していくのは当たり前の話なんですよ。意識はすごいものですから、そのすごいものがこの不自由な体の中に入っているということの意味をよく理解しなきゃいけない
僕は死という物を体験して分かったのは死後の世界っていうのは暇ですハッキリ言って。
なぜかというとすべてが満たされるんですよ。すべてが満たされる時ほどつまらないものはない。
こういう空間を作って3次元って空間作ってその物質とアクセスしているわけです。
これは何かと言ったら、不自由な中つまり、これゲームと同じなんです。
一人一人がスーパーマリオになったと思ってください。
どういうゲームって目的があるんです。それがとても地球の生態系を長くするって目的と同じです。
それをやり遂げられる能力を持っているんですが、考え方によって途中で死んでしまう場合があるのです。
そうしないようにするためにはいろんな能力を引き出していかなきゃならない。
それぞれの人間が。
私たちはふと考えると人に言われて動かされているけど自分すらほめたことが無いですよね。
自分のほんと素晴らしい能力にも気が付いてないで生涯終わってしまう人たちも多いと思うんです。
せっかく意識がこの体を借りているんだったら、一回自分というものを見つめなおしてみるのが大切だと思います。

意識はものすごく技術や能力、アイディアがあるにしても体がついていけない。
この不器用な体の世界で何ができるかを考えて、その能力を引き出してちゃんとやり遂げてやることが大事なんですね。
一度死にぞこなって分かった人間は間違いなく死は保証されています。
ですから慌てることは無い。
だからその時まで思いっきり体を使い切って自分の本来の役割をやると生態系のバランスの中の一員として世の中に役に立つということです。
それが実は生きる喜びなんです。
でもそれを乗り越えてくることは苦労なんです。
実は苦労を楽しんでいるわけです。

それの証拠に私が生き返ってから老人ホームに行っておじいちゃんおばあちゃんに「今まで長く生きてきたけれど今までで一番心に残ることは何ですか?」と聞いたら苦労の自慢の仕合いなんです。
「今までで一番いいことってなんだ」ってのは「さぁ?」って言うのですよ。
そんなもんです。
だから我々人間は苦労を楽しむためにいた。
今のこういう時代だからこそ新たにみんなに苦労して見つけ出して本当は自然体系の生態系の中の一員としての謙虚さが必要です。

いままでは奢りの世界だったけどそれを捨てることによって、手放すことによってまた新たな自分たちの世界が作れていくわけです。
それが今度は生態系と共に生きていく。目的は何かと言ったら生態系を失ったらすべてを失う。
だって、地球の生態系のバランスが崩れたらどんなにお金があろうがなかろうが、素晴らしいイデオロギーがあろうがなかろうがおしまいなんです。
もう、そろそろそれを理解した方がいいですよね。

それをやれるかと言ったら、今この時期だから逆にやれるチャンスだと思うんです。
でも可能性は少ないですよ。
でもゼロではない。
私はもうそこことから実はスタートさせたんです。
ということで僕は未来は明るいと思っています。

(未来が明るくて)良かったといっても今から苦労するんですから(笑)。

本の紹介

今回取り上げた木内鶴彦さんの著書から2冊を紹介します。
興味のある方は是非ご購入を。

新版 宇宙を超える地球人の使命と可能性

生き方は星空が教えてくれる 

-人生