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日本酒ブームの移り変わり

明治以降の日本酒の流れ

  1. 明治 酒税制度の簡略化
  2. 明治 富国強兵と酒税増税 酒造業界と政府の結びつき
  3. 大正 山廃・速譲 日本酒の安定製造技術の発展
  4. 昭和 吟醸仕込みと6号酵母 日本中で製造可能に
  5. 昭和 公定価格と酒造米の配給制による三増酒 日本酒の共産時代
  6. 昭和 大量生産~量から質への転嫁
  7. 昭和 洋食・洋酒が上陸 食の変化と地酒ブーム
  8. 平成 ビールがNo.1へ 淡麗辛口ブーム
  9. 平成 ワイン・焼酎の台頭 新しい手法と伝統的手法
  10. 平成 日本酒国際化時代 ワイン全盛・低アルコールとおしゃれ感
  11. 令和 日本酒の世界の広がり 群雄割拠

明治以降の政治と日本酒

明治時代にこれまでの酒税制度が変わります。明治政府は、江戸幕府が定めた規制を一挙に撤廃し、醸造税と営業税との2つに簡略化して、醸造技術と資本のある者ならば誰でも自由に酒造りができるようしました。これまで、酒株がなければ酒造りの免許が持てなかった酒株制度を廃止したのでした。しかし、西南戦争(明治10年・1877年)以後の財政難と地租改正に対する農民の抵抗にあい困っていた明治政府は、比較的簡単に税をとれる日本酒に対して増税を度々行いました。
とうぜん、酒造業者には不満が募り、政府に抵抗していきました。政府はその報復として、大増税を行いました。

結局のところ、酒造業者の経営不振はやがて税収減少に跳ね返ることとなります。政府はどぶろくなどの自家醸造禁止などの酒造業者保護策を打ち出して酒造業者との妥協策を探る方向に転換していきました。

国は酒類に重い税をかけ、その代わりに免許制で新規参入を制限して競争を抑制するという着地点を作り、酒造業界との関係が形成されていきました。

日清・日露戦争のときには、国家歳入の約30%~40%を酒税が占めるなど日本酒は税府にとってなくてはならないものになりました。(酒造業界の発言権が大きくなります)

そうして、酒造業界は国家と深く結びついていきます。業界は多数の国会議員や地方議員を輩出しました。岸信介、池田隼人、佐藤栄作、竹下登、宇野宗佑という歴代宰相はみな酒造家の出身でした。

日本酒製造の技術革新

安定した酒母造りを目指して江戸時代に確立した「生酛」製法を簡略化した「山廃」が大正時代に確立しました。さらに出来た乳酸を添加する「速醸」製法が大正~昭和初期に発達し、日本酒は安定製造出来ることに成功。

現在「酒米の王者」として君臨することになる山田錦が、1936年に兵庫県奨励品種として登場します。(この頃は雄町が王者だった)

昭和初期には二つの技術が出来ました。

これまで、硬度の低い軟水では安定した醸造が難しいとされてきましたが、低温で長期発酵することでその課題を解決、「吟醸仕込み」として発達していきました。

江戸時代より気温の安定した西日本が日本酒にとっては主要産地でしたが、秋田県の「新政醸造」で採取された「六号酵母」によって寒冷地での安定醸造が可能になりました。

6号酵母で作られる「新政No.6」(新政酒造)
大人気銘柄のため、なかなか手に入らない。
出典:新政酒造株式会社

そして戦後の苦しい時代には、米不足、日本酒不足が深刻化。戦中戦後の物不足の中でアルコール添加の技術や糖類まで添加した三増酒、そして合成酒などが生まれてきました。

戦後の日本酒ブーム

当時の日本はまだ酒造米が配給制であり、良質な日本酒を造ろうと思っても、酒造米の調達が困難だった。さらに公定価格によって、配給制の少ない酒造米からどれだけいいお酒を作っても販売価格は一律おなじになってしまっていたのです。(日本酒の共産時代)

これらの問題から「造れば造るほど売れる」「よい酒を造っても消費者に見向きもされず、しょせん販売価格は同じになる」という状況になり、生産者も「いいものを造る」必要性がなく、三倍増酒による量産主義が主流になります。つまり、この環境の下で日本酒は三倍増醸酒に淘汰されていきました。

公定価格は1939年、酒造米の配給制は1968年まで続くことになりました。

【1960~70年代】お酒は「酔うために飲む」から「グルメ」へ 高度経済成長時代

高度経済成長真っ只中。働けば働くほど給料が上がったうらやましい時代。しかし、日本酒は酒造米の配給制という大きな問題を抱えたままでした。

ルール次第で世の中は大きく変わる。ダメなルールでは発展しない。

日本酒でも高度経済成長の大量生産・大量消費という流れにそって、大量生産の体制が大手酒造メーカー中心にできあがってきます。
この頃のお酒の概念は、味わうよりも、さっさと酔うために飲むものだったと言えます。強めの日本酒を飲みながらストレスを発散し、明日への活力を養っていた。家に帰れば晩酌が日課となり、酒屋は一升瓶が入ったケースを各家庭に届けた。また、日本酒のカップ酒が初めて販売され、どこでも日本酒が飲めるようになりました。

「サザエさん」から三河屋のサブちゃん。
このころは酒屋が各家庭を回り注文を聞き、配達するシステム。

マクドナルドが日本に初上陸した1971年(昭和46年)。洋食レストランやファーストフードが都市に住む日本人の食習慣をさらに変化させました。伝統的な食事から転じて、パンや肉や卵や乳製品などの消費が高まっていきました。都市生活者のほとんどは朝食や昼食には洋食を食べるようになり、米は夕食でしか主食として食べなくなりました。 より食事の選択肢が広がり、人々の食への欲望はグルメへと変化していきます。

人々がグルメになっていった影響は当然、日本酒もうけました。

それまで国からの配給制だった酒造り用の米が、政府を通さない自主流通米制度に変わりました。お米が手に入りやすくなったため、質の高い純米酒や本醸造酒を造る気運も高まります。まさに「量から質」の変化です。フルーティーで香り高いもの、キレのよい淡麗な味わいなどグルメ日本酒が生み出されました。1974年には日本酒の醸造数量がピークに達しました。

当時は級別制度で特級、一級、二級の3段階に区分けされ、一般家庭では飲み応えのある一級と二級が好まれました。辛口をアピールした本格派の「剣菱」「菊正宗」「白鷹」(すべて兵庫)が飛ぶように売れていった。

【1980年代】ウイスキーと地酒ブーム オイルショックから低成長時代

1973年のオイルショック以降、低成長時代に突入した日本経済。世の中が落ち着くに従い、醸造アルコールで3倍に増量した三増酒などへの不信が本物志向を刺激し、本醸造や純米酒が登場。それまで主流だった灘や伏見の大手メーカーによる酒が甘くくどくなっていたことに消費者が飽いていた反動として、この淡麗辛口な日本酒は人気を得ます。
とくに希少価値の高い「幻の酒」と呼ばれた「越乃寒梅」(新潟)は、原料米の品質にこだわり、醸造アルコール添加を抑えるお酒を出し爆発的人気になりました。「一ノ蔵」「浦霞」(ともに宮城)、「梅錦」(愛媛)などが地酒ブームの花形となった。

1971年のウイスキー輸入自由化を背景にした舶来ウイスキーブームに加え、飲みやすい「水割り」が流行するようになると、1980年代にウイスキーが全盛期を迎える。バーやスナックでは「ボトルキープ」も普及し、ステータスシンボルとして上昇志向の強い男性社会にうまくマッチして消費が伸びた。
日本酒はここから他の酒に押されていく。

【1990年代】ビール全盛と吟醸酒ブーム バブル景気~バブル崩壊

1980年代後半になると、ビールが日本酒を逆転。アサヒ「スーパードライ」(1987年)やキリン「一番搾り」(90年)など苦みや渋みを抑えた飲みやすいビールがヒットし、90年代前半にピークを記録する。

バブルが頂点を極める頃から、淡麗辛口の酒を冷やして飲む吟醸酒ブームが到来。新潟県の「八海山」や「久保田」「〆張鶴」「上善如水」がそれに続き”新潟の端麗辛口”という一ジャンルを築いて人気になりました。一方、昔ながらの酒造りの手法である山廃で造られた石川の「天狗舞」や「菊姫」も人気を呼んだ。

吟醸酒ブームの背景にあったのは級別制度廃止後に向けた動きだった。1992年に級別が廃止されると、かつての「特級」「一級」「二級」に「特撰」「上撰」「佳撰」など、独自の名称を付ける蔵元も現われ、より高級なお酒を求める人々の欲を満たした。

【2000年代】若い蔵元が造る次世代の日本酒

1997~98年にテレビ番組でポリフェノールの効用が宣伝されたことから一時的に赤ワインブームに火が着きました。

 ワインや焼酎がもてはやされ、杜氏の高齢化が問題視されるなど、日本酒業界は閉塞感に包まれていた。そんな中、若い世代を中心に「蔵元自らが積極的に酒造りに関わる」という新しい試みが始まった。

 大吟醸仕込みの技術を本醸造に落とし込み、低価格で発売した「十四代」(山形)を筆頭に、無濾過生酒で人気を博した「飛露喜」(福島)など、若い蔵人が同年代の若者に向けて独自の銘柄を発信。また、伝統的手法の生酛造りにこだわった「大七」(福島)も評判を呼んだ。一方、純米酒に似た精米歩合75%の「米だけの酒」も人気を集め、多くの蔵元がラインアップに加えた。

【2010年代】低アルコールでおしゃれなデザイン 日本酒の国際化

イメージ刷新した焼酎が価格が手ごろでおしゃれな新しいお酒として受け入れられ、市場が大幅に拡大する。2003年には本格焼酎(乙類)ブームで焼酎のお湯割りが日本酒の熱かんの代替として飲まれるようになり、03年には課税数量で日本酒を上回り、06年にはピークを迎えた。

価格が手ごろで飲みやすい酎ハイや女性にも好まれるおしゃれなイメージのワインの市場がさらに拡大し、日本酒やビール、ウイスキーから市場を奪ってゆく。ワインは低アルコールで飲みやすく、男性でも女性でもおしゃれな雰囲気を楽しめ、消費者のニーズにマッチしていました。近年、ウイスキー市場でソーダ水などで割ったハイボールがブームになっているのもこの傾向に沿った動きになります。

世界では、国内での日本酒の消費低迷に反して、世界市場において日本酒の高品質が評価され始め、日本酒の輸出量は年々増加していきました。

欧米で沸く空前の和食ブームを受け、アメリカやフランスを中心とした世界で日本酒が評価され、世界市場に打って出る銘柄が登場。その筆頭が山田錦による純米大吟醸の大量生産に成功した「獺祭(だっさい)」(山口)や今の主流の吟醸スタイルを提案した「而今」(三重)、ワインをイメージして作られた「醸し人九平次」(愛知)で、フランス三ツ星レストランのメニューにも取り入れられた。

吟醸スタイルの流れに反旗を翻すように、登場したのが「新政」(秋田)。
日本酒はほとんどが「速醸酒母」という製法をもとに造られていたのに対し。高度な技術を要する「生酛系」酒母(新政酒造伝統の「六号酵母」)のみを使用し、木桶仕込みをも復活させより伝統的で自然な製法でモダンの中に伝統スタイルを取り入れる新しい流れを作り、人気になりました。

一方、日本国内では、ワインや焼酎、ハイボールなどに対抗するため、酸味の効いた酒やスパークリングの銘柄、日本酒初心者にも飲みやすい低アルコール酒も登場。その先駆け的な存在の「すず音」(宮城)やタブーとされていた酸味をいち早く取り入れた「仙禽」(栃木)さらには精米歩合80%という昔ながらの日本酒として話題の「紀土」(和歌山)、「亀齢」(広島)、日本酒とは思えないような甘さの「亀泉(Cel-24)」(高知)など、従来の日本酒の概念を取っ払う様な個性ある銘柄が続々と現われている。

ラベルや瓶のデザインにこだわった酒造所も急増。よりかわいく、より国際的に、より個性的なデザインが出現した。

【2020年代】新型コロナによる危機と日本酒の世界の広がり

日本酒の世界に続々と挑戦者たちが集まってきます。
2006年に蔵が廃業していた「光栄菊(こうえいぎく)」(佐賀)が生まれ変わって復活。
ワイナリーが醸す日本酒「ソガペール エ フィス」(長野)や芋焼酎の西酒造が手がけた日本酒「天賦」(鹿児島)、パリに製造所を立ち上げたフランス産の日本酒「WAKAZE」、28年の長きにわたって「ドンペリニヨン」を造り続けたリシャール・ジョフロワが醸した日本酒「IWA(岩)」(富山)など、日本酒の世界はより広がっていくのです。

2020年代になり世界中が「新型コロナウィルス」騒動に巻き込まれる。飲食店が時短対応や酒類の提供禁止などの行政措置、イベントの中止等により飲食店への販売が多い日本酒業界に危機が訪れている。

しかし、日本酒業界は今が一番熱いといってもいいくらいにチャレンジが続いている。奥の深い日本酒の世界。危機の時こそ人は輝くのです。
そのこだわりと情熱が未来の扉を開くと願っています。

明治以前についてはこちらを

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